川崎の地勢と人口
 川崎市は神奈川県の北東端に位置し、東西に伸びた細長い形をしています。
 北側には多摩川をはさんで東京都、南側には横浜市があり、日本を代表する都市に挟まれています。
 南東側は東京湾に面 していて、向かい側の都市千葉県木更津市とは、東京湾横断道路(アクアライン)によって結ばれています。

川崎市位置図

 地形は、南東の海岸から多摩川沿いにかけての平野部と、西部の丘陵部(多摩丘陵)にわかれています。
 標高は、海面の0メートルから丘陵部の140メートル位までの比較的平たんな地形です。有馬白百合幼稚園は、川崎市のほぼ中央の多摩丘陵上にあります。標高はおよそ50メートルです。

 川崎市の人口は平成12年5月1日現在、およそ125万人です。1972(昭和42)年に政令指定都市となり区制がしかれ川崎、幸、中原、高津、多摩の5つの区にわかれました。1982(昭和57)年には高津区から宮前区が、多摩区から麻生区がそれぞれ分割し、川崎市は7つの区になりました。
 各区の人口はいずれも10万人を超えています。7つの区のうち一番人口が多いのが有馬白百合幼稚園のある宮前区の19万9千人、一番少ないのは面積が最も小さい幸区の13万6千人です。中原区以北では、人口が大幅に増加しています。

川崎市区別人口
人口(人)
川崎区
194,759
幸区
136,473
中原区
196,510
高津区
181,538
宮前区
199,135
多摩区
196,061

麻生区

141,438

合計
1,245,914
(平成12年5月1日)

宮前区のまちづくり

 有馬白百合幼稚園がある宮前区は、昭和30年ころから町づくりがすすめられてきました。昭和41年には東急田園都市線が開通 し、有馬白百合幼稚園の近くに宮崎台、宮前平、鷺沼という3つの駅が開設されました。これにあわせて、土地区画整理事業が実施され、道路や水道、ガスなどの基板が整備されて徐々に住宅地が形成されてきました。


鷺沼駅周辺の様子
開発前(1967年)
開発後(1992年)

「有馬」という地名
(「たちばな地名探訪」前川清治・著 労働教育センターより抜粋)

 「有馬」という地名には、2つの説が伝えられえている。
 1つは「山間の荒地のある谷」のことをいい、モンゴル語で「アリは山間」を意味する。丘陵の谷間のことを「有間」とか「在間」と呼ばれ、いまも浄土真宗長善寺の門前には山号である「有間山」の碑文が刻みこまれている。
 いま一つは、「新編武蔵風土記稿」に「当地乗馬の縁ありて起こりし地名なるも知るべからず」と記録されている。馬の産地といわれた「馬絹」の隣村だったことから、「有馬」と呼ばれたというのである。


有馬白百合幼稚園のある「東有馬」

 東有馬は、かつて有馬村の東の集落にあたり、下有馬といわれていました。この名前は今もバス停に残っています。
 有馬白百合幼稚園は、丘陵上に南向きに位置し、近くには神奈川県立川崎北高等学校があります。
 幼稚園の南側の丘陵間の谷の部分には有馬川が流れ、有馬川に沿うように鷺沼駅方面へ向かうバス通りが通っています。


植木の里

 東有馬の周辺は昔から水が豊富で、農業が盛んでした。土地区画整理が進み住宅地が増えてきましたが、農家の人たちは植木づくりを積極的にすすめてきました。
 こうしてここで育てられた植木は、道路や公園の植栽や学校の植栽として使われ、この地域は植木の里とよばれるようになりました。多くの人に植木に親しんでもらえるように、植木の里めぐりの散歩道が設けられています。
 この地域では、植木の他ナシやマスクメロンの栽培がおこなわれています。


自然木の里
つばきの里
つげ・もみじの里

写真の出典:「かわさき2000」(川崎市教育委員会)